なないろのホームページに寄稿する「加藤のコラム」、記念すべき第1号です。とは言っても、だれも読みたいわけでもなく、求められてもいないので、何の記念なの?というツッコミがきそうですが。ツッコミにはボケで応えるというのがいい返しだと勝手に思うことにして、ピントのボケた話をツラツラと身勝手に書きたいと思います。それが「加藤のコラム」です。
さて、なないろが本格的にスタートしました。そこで、第1号は、「始まり」をテーマにしてみます。格調低い話が続きますのでご容赦ください。
始まりに関することわざというか慣用句を調べてみました。あいうえお順に並べます。
「会うは別れの始めなり」 いきなり別れの話をするのはさびしくないですか。
「嘘つきは泥棒の始まり」 ボクはその場しのぎの嘘というかごまかしはよくしてきましたけど、幸いなことに泥棒にはなっていません。
「兄弟は他人の始まり」 兄弟それぞれに独立するってことでしょうけれど、他人って表現しなくてもいいんじゃないですかねえ。
始まりなのに、なんとなくネガティブな文言が続くなあと思ったら、次に出てきたのが、「始めちょろちょろ、中ぱっぱ、赤子泣くとも蓋取るな」でした。ご飯かい!と一人でツッコんでしまった…。で、ようやく次に前向きな感じの言葉に出会いました。
「先ず隗より始めよ」これは、大きな事業や計画を始めるときには、まずは手近なところから着手するのがいいという意味ですよね。物事は言い出した者から始めなさいというときにも使います。なないろの事業が他の方々から見て大きな事業かどうかはさておき、ボクたちの仕事は利用者さまの幸福を手助けする仕事であることは間違いないので、大きな事業だと思い込ませていただきます。だから、まず手近なところから一歩一歩着手していきます。よそからはもっと頑張れよと言われるかもしれませんが、一歩一歩進んでいるんだぞと心の中で言い張ろうと思います。
大物漫才師の方はこう言いました。「小さなことからコツコツと」
大物野球選手の方はこう言いました。「少しずつ前に進んでいるという感覚は、人間としてすごく大事」「小さいことを積み重ねるのが、とんでもないところへ行くただひとつの道だと思っています」
なないろは、一歩ずつ一歩ずつ、ゆっくりではあっても、前に進んでいきます。
さて、「始まり」になんとなくつながりそうな「初心忘るべからず」は、世阿弥が残した言葉です。世阿弥は、「三つの初心」を語っています。
「是非の初心忘るべからず」 若い時の失敗や、未経験による苦労によって身につけたものは忘れてはならない。それが、後々の成功の糧になるから。
「時々の初心忘るべからず」 歳と経験を重ねていく過程で会得したものが「時々の初心」。青年期、壮年期、老齢期に至るまで、その時々に合った力を常に初心の心で身につけ成長していくことが大切である。
「老後の初心忘るべからず」 老齢期には老齢期でなければわからない試練や葛藤がある。老齢期ならではの力を新たに身につけることが「老後の初心」。歳をとったから、経験があるから完成されたということではなく、老齢期を迎えてこそわかることや初めて習うことがあり、乗り越えなければならない境地である。
さすがは世阿弥さま、いいこと言いますね。なないろも、開所を迎えるときの最初の緊張感を忘れないこと、軌道に乗ったときも慢心しないこと、何年何十年たってもけっして傲慢にならないこと、これが大事です。そして、年齢を重ね重ねて加齢臭が漂っているボクも「いつまでも初心忘るべからず」を肝に銘じなくてはなりません。
以上、なないろの始まりに思うことあれこれでした。 自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔