加藤のコラム第25号
B級という言葉が好きです
ウィキペディアから引用します。
B級は、様々な事物に於いてその程度を表す表現として用いられており、(中略)ニュアンスとして、一級品に及ばないという卑下(ひげ:程度が低いものとして蔑んでいること)の意味合いと、A級(=高品質だが高価)に比べて費用対効果が優れているという自負の意味合いがあるが、後者は含意としては存在するものの、それのみで使われる傾向は弱い。専ら「強い感銘を受ける程ではないが、どういう訳か意識せざるを得ない」ような個性を持っている場合などに好んで使われる傾向がある。
B級と評されるものの多くは、そのいずれにも熱狂的な愛好者が見られ、見方を変えれば「マニアック過ぎて普遍的な支持が得難いモノ」と見ることができる。
B級戦犯という言葉に関しては、それはおそらく序列や階層を示したものだと思いますが、B級グルメとかB級スポット、B級映画など、自分たちでB級を用いる場合においては、「謙虚ながらも意地はある」という意味合いで使うことが多いような気がしています。
お叱りを受けそうな表現になりますが、ボクは(あくまで個人としての意見ですけど)、「自分でA級だと思っている人の多くは本当のA級ではない」と思っていまして、「すごくないと自分で思っているからすごい努力をして、そのことによって他者からすごいという評価を受けているけれど、すごくないと思っているからこそ努力を続けている人がA級」であり、B級を自認している人こそがA級になる権利を有するのではないかと考えております(すげえ長ったらしい文章になってしまった)。
まあ、ボクの場合は、たいした努力をしてもいないので、B級でもないZ級ですが、めざすところはB級です。めざすのは自由ですし。
というわけで、なないろもB級事業所をめざします。そのB級としての意地とは何か。それは「20分の1の意地」です。「20回に1回くらいしかうまくいかないかもしれない。でも19回の試行錯誤だけは繰り返す。自分たちの実力はその程度だけれど、試行錯誤する意地だけは捨てない」…、これがB級の誇りであり、気楽さであり、適当さです。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔