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加藤のコラム

加藤のコラム第38号

答えがわからない試験ではウケをねらっていた愚かな男

 

向上心という言葉がありますが、それには二種類あると思っています。

ひとつは「自分の得意分野をさらに高める」、もうひとつは「自分の苦手分野を克服しようとする」ために努力を積み重ねるということですが、残念ながらボクにはどちらの向上心もありません。つまり、加藤の辞書に向上心という言葉は載っていないのであります。

 

「自分の得意分野をさらに高める」なんて、求道者みたいなことはしてこなかったです。明言できます。ひとつひとつはたいしたことないけれど、あれも少しできてこれも少しできて中途半端にはいろいろできるみたいなポジションが居心地いいタイプなもので。しかも悲しいことに、中途半端までもいきつかないというお粗末さです。

 

ましてや「自分の苦手分野を克服しようとする」なんて、ほぼほぼ考えたことないです。苦手なものは頑張ってもやっぱり苦手なんだし、という怠け者思考を根強く持っていますから。仕事においても、「これはオレには無理だなあ。オレが200%の力で頑張るより、あなたが50%の力で頑張った方がはるかに成果が上がる」と言いながら、人に頼っています。

 

学生時代を思い返すと、苦手な教科を頑張ろうなんて気持ちはなく、得意教科があるわけでもないので、成績が上がる要素はまったくなし。当時の先生方、たいへん申し訳ございませんでした。で、当然のことながら苦手な教科の試験はわからない問題だらけになるので、ボクはいかにおもしろい答えを書いてウケをねらうかを考えていました。かと言って、すべての問題にボケをかますと怒られるに決まっていますから、小心者のボクは一問くらいだけボケた解答を書くというみみっちいことをしておりました。基本的にこのボケはスルーされていましたが、たまに先生が反応してくれることがありました(もちろん呼ばれて怒られたことも何度もあります。ボクは、粋なボケ方ができなかったことについてのみ反省していました)。記憶の片隅から思い出した試験のボケを3つだけ書き出してみます。

 

☆細胞の中の名称を答えるみたいな生物の試験だったと思うのですが、ボクは「ミトコンドリア」しか思い浮かばず、でもそれが正解じゃないことはわかっていて、ここはボケてみるかと思い「ミトコンドリャー!」と書きました。生物の先生、赤ペンで「気合いはわかるが✖だな」と書いてくれました。これをきっかけに生物の勉強を頑張るようになりましたというストーリーならめでたしめでたしですが、そうはならないのが凡人の人生でございます。

 

☆日本史は比較的好きでしたが、世界史はちんぷんかんぷんだったボク。「インカ帝国を征服した人物名を書け」という問題に対して、その名前がおぼろげにしか出てこない。ピカロだったかピチコだったかピサタだったか(正解はピサロ)…。ピがつくことはわかっていましたが、どうも思い出せない。ならばボケるチャンスと思い、「征服者本人の名誉のためにあえて名前を伏せます。『ピ〇〇』」と書きました。先生はこれまた赤ペンで「単位がピンチ」と書いてきまして、うまいこと言うなあと感心したことがあります。ボクが心入れ替えて世界史を頑張ることはありませんでしたが、単位はくださいました。

 

☆問題の中身すら覚えていませんが(何しろさっぱりわからなかったので)、数学で何かの証明をするというもので、解答欄のスペースがたくさんあったのは覚えています。こんなにたくさんのスペースを使わないと証明できないなんて、何をどうすればいいのかもわからず、数学的なことはまったく思いつきませんでした。ならば、このスペースを使ってわけのわからん証明を書こうと思い「なぜ、この問題を解けない自分がいるのかについての証明:部活で疲れる⇒風呂に入ってご飯を食べたら当然眠くなる⇒眠ってはいけない、数学の勉強をしなくてはと思って目を覚まそうとまずテレビを見る⇒夜も遅くなってしまい勉強の能率が上がらないので朝起きて数学の勉強しようと眠りにつく⇒目覚まし時計がいつもなぜか鳴らず朝早く起きられずにいる⇒そして試験を迎えた」みたいなことを延々と書きました。先生に呼ばれてこう言われました。「おもしろい証明だけど、論理的ではない。残念だが追試。ところで山岳部に入らないか?」その先生、山岳部の顧問でして、部員募集のためにボクを呼んだようです。ボクは違う部活やってましたので、丁重にお断りし、ちゃんと追試受けました。

 

よいこのみんな、こんな学生生活を送ってはいけません。

自閉症者地域生活支援センターなないろ  加藤 潔