加藤のコラム第41号
人生ゲームは勝敗にこだわることなく終わる?
ボクの世代は、子どものころに遊んだものを思い出せと言われたら、人生ゲームと野球盤をあげないわけにはいきません。
我が家には野球盤はありましたが、人生ゲームはなかったので、それを持っている友達の家に行くと、「人生ゲームやろうぜ」と言っていた記憶があります。
野球盤には、消える魔球というのがありまして、球が秘密扉から下に落ちる仕組みになっていて、バットに当たるわけがない。子どもながらに、これはスポーツマンシップに反する仕組みだと思っていました。
さて、今回の話の主題は人生ゲームです。子どもが生まれたら車に人に見立てたピンを乗せてゴールを目指すわけですが、道中お金をいただいたり払ったりしながら勝ち負けを競うゲームです。今ではいろいろなバージョンの人生ゲームがあるようで、まさにロングセラー商品。考えた人は天才ですな。
長期間に渡って売れ続けていることも確かにすごいのですが、人生ゲームが最もすごいのは、だれが勝ったのか負けたのかがゲーム終了時にはほとんど気にならなくなってしまうことだと加藤は思っています。人生ゲームの勝敗で感情が揺れ動いた記憶がまったくないのです。最後、お金をどれだけ稼いでいようが、貧乏農場に行って全財産を賭けて逆転勝利しようが破産しようが、勝った負けたを言い争った記憶がないのですよ。
途中、お金たくさん稼いでやったー!みたいなことはあるにせよ、最後は勝ち負けなんてどうでもいい気分になって終わっていました。
このゲームの考案者は、人生いろいろあるけど最後は勝ち負けとかそんなのどうでもいいんじゃないという気持ちになれたら、それだけで人生の勝利者なんだよってことを伝えたかったのかもなと最近なぜか思ったのです。人生ゲームは人生の奥深さを教えてくれる道徳教材みたいなゲームかもしれません。人生ゲームを考えた人は、本当に天才ですよ。
というわけで、人生の最後は、だれかと何かを比べるとかではなく自分なりの満足感が得られたらそれでOKなんだと思って生きていきます。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔