加藤のコラム第47号
ボクは愚痴と批判は異なるものだと思っています
人は苦しい状況に陥ったり余裕がなくなったりすると、文句や悪口をついつい言ってしまうものです。自分はけっしてそんなことはしないという方がいらっしゃったら、心から尊敬します。でも、ボクはりっぱな人間じゃないから、文句や悪口、言っちゃうなあ。ただし、その人に直接言えない小心者なので、陰で言う卑怯で卑劣な人間です。
卑怯で卑劣なまま成長しないのも情けないので、やや卑怯やや卑劣くらいには高まりたいなと思い、同じ文句や悪口を言うにしても、愚痴と批判に分けて考えることにしました。
というわけで、(実際には存在しませんが)加藤辞書あるいはKatopedeiaでは、愚痴と批判を次のように定義しております。
愚痴:相手のいないところで文句や悪口を口に出すが、それを誰かのせいにして終わるのではなく、仕方ないから自分で頑張れることだけは頑張ろうと、自分で自分をなだめる行為
批判:文句や悪口を口に出すが、誰かのせいにしてしまい、相手に直接伝えたり、相手をおとしめたりするようなことをしてしまう行為
つまりは、何か文句や悪口を言ってしまったら「まあ仕方ない。明日からまた頑張るか」と、とにかく口にしてしまえば愚痴で済むということです。批判までいかないわけだから、やや卑怯やや卑劣くらいでとどまれるぞと思うのです。
サラリーマンたちがその場にいない上司や社長への文句や悪口を言いながら酒を飲んでいても、最後は「明日からまたオレたち頑張ろうぜ」と言いながら家路につくのは愚痴であり、まあまあ健全。上司や社長への嫌がらせや退陣要求を画策したら批判であり、きわめて不健全ということです。
ボクは、とにかく愚痴にして終わればいいんだと思っています。自分の人間としての成熟度はそのくらいだし(愚痴も言わずに頑張るなんて徳の高さは持ってない)。
なないろのスタッフも当然のことながら、ボクへの不平や不満はあるはずですが(申し訳ない)、ボクのいないところで愚痴にして収めてくれるならそれで十分ありがたいことです。
愚痴っちゃいけないのではなく、「上手に愚痴れば大丈夫」。これがボクのおすすめです。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔