加藤のコラム第60号
サンタクロースはいるのか
サンタクロースはいるのかどうか、これは実に奥深いテーマです。
実在するかどうかの議論ではなく、サンタクロースという存在をどう考えるのかということですから。①サンタクロースから何かもらえたらうれしいなあという願望(もらえるならそりゃうれしい)、②サンタクロースみたいな真に慈悲深い人の存在が身近にいる喜び(いたらそりゃうれしい)、あるいは③サンタクロースみたいになりたいという自分の生き方への思い(なれるものならなってみたい)みたいなことをいろいろと考えさせられるわけです。
サンタクロースがいるとかいないとかいうことよりも、信じるか信じないかという、考えれば考えるほど答えの出ない哲学的な話のような気がします。
それはさておき、娘が年中児で息子が2歳くらいだったとき、ボクのオヤジが(もう他界していますけど)サンタクロースの衣装を買ってきて、「サンタになってプレゼントを渡すんだ。サンタを信じさせる」とえらく張り切りまして。サンタの衣装を着て、玄関のチャイムを鳴らし、こもった声でわざわざ外国人っぽく「メリークリスマス。プレゼントダヨ」と言いながら、プレゼントを渡して立ち去っていきました。
娘は「なんかおじいちゃんに似てた気がする」とつぶやき、息子はびっくりして泣きそうになっていました。それをオヤジに報告すると「演技が足りなかったか」と言い「来年はもっとサンタらしくやる」と前向きでした。ボクは「これでやめといたほうが幼い子の夢を壊さないのに」と内心思っていましたが、来年もやる気になっているオヤジに対して口には出せず「ああ、そう」とだけ言いました。
翌年のクリスマス、オヤジはいかに衣装の中にたくさん着込んで太って見せようというのが見え見えの格好でやってきました。年長の娘は「あれはどう考えてもおじいちゃんだ」と気付いたようですが、それを口に出してはいけないと察したのか「どうもありがとう」と模範的な返答をしてプレゼントをもらっていました。息子は1年の成長なのか、泣きそうになることもなく、でもサンタへの感動よりも早く包装紙をあけたくてたまらない衝動を押さえ切れず、すぐに玄関から室内に戻っていきました。
オヤジ的にはリベンジのつもりの再びのサンタクロースでしたが、思い描いたような孫たちの反応ではなかったようです。でもまあ、やりきった感はあったみたいで、「来年はやらなくても大丈夫だな」と言っていました。何が大丈夫なのかはよくわかりませんでしたけど。
当時のボクは、そんなに見え見えのサンタにならないほうが、子どもたちのサンタのイメージを損なわないんじゃないのかなと思っていましたが、オヤジには「③サンタクロースみたいになりたいという自分の生き方への思い(なれるものならなってみたい)」があったんだろうなと、今になればよく理解できます。孫ができて、ボクもあの時のオヤジのようにサンタやりたくてたまらないですから(近くに住んでいないからやらないだけ)。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔