加藤のコラム第66号
許容範囲は実に難しい概念
北海道の冬は雪との共存でもあります。
たぶん多くの人が感じていることだと思うのですが、雪が降るのはいいけれどうんざりするほど積もるのはやめていただきたい。
雪自体が悪いのではありません。許容範囲を超えると好感度がダダ下がりになるという例ですね。他に思いつくものとしては、お酒を飲むのはいいけれどうんざりするほど酔っぱらうのはやめていただきたいとか(自分に対して言ってるか)、休みの日に寝坊するのはいいけれど一日中ずっとパジャマでいるのはやめていただきたいとか(これもオレのことか)、ある一線を超えてしまうと自分を取り巻く状況や好感度が悪化するのはよくある話です。
ところが、この一線、見えないんだな。しかもこの一線、人によって違うので、ますますわかりにくい。わかりにくいから適当にこの一線のありかを探って人との関係をなんとかかんとか営もうと四苦八苦するわけです。うまいぐあいに一線のありかを探れる人は「空気を読むのに長けている」となり、一線のありかを見誤ると「空気を読めない」と評価されてしまいます。
自閉症の方々には、この一線をよく超えてしまって人と衝突しちゃったり、一線がわからないから線のはるか手前に自分を置いて人との関係を遠くしちゃったりしてしまうことがあるのだろうと思います。でも、この一線は見えないので、それを見ようとすること自体、かなりハードルが高いことでしょう。
だったら、この許容範囲の一線を見える化できないかを考えればいいのでは?
許容範囲がイエローゾーンに来ていることをさりげなく相手に伝えてあげられたらいいんでしょ? レッドゾーンまできちゃっているなら今さら伝えても仕方ないし、問題ない範囲なら特に伝える必要もない。だから、そろそろ許容範囲を越えますよというイエローゾーンを伝えて、それを見た人が自分の行動にブレーキを掛けられればいいわけです。
黄色を表す手話をそのサインに使えませんかね。「右手の親指と人差し指を伸ばして、親指の先を額に当てて、人差し指を2回倒す」のが黄色の手話表現です。手話の普及にもお役に立てるかもしれませんし、自閉症の方々へのサポートだけでなくハラスメントへの警告にも使える可能性があります。世界中でイエローゾーン明瞭化運動として進めばいいのです。
一線をよく見誤る加藤にとっては、実にありがたい運動なのですが。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔