加藤のコラム第69号
やった人だけがわかることがある
数か月前のことですが、家の近くのゴミ捨て場で、ネットからはみ出ていたゴミ袋があったのか、カラスが散らかしてゴミが散乱していました。不真面目なボクは「見なかったことにしようかな」とずるいことを思いつつ「気付いちゃったのに片付けないとバチが当たるかもしれない」とみみっちく悩み、バチが当たりたくないだけの理由で家からゴミ袋と軍手を持ってきて散乱したゴミを拾いました。
それ以降、ゴミを捨てに行くときには、ネットからはみ出そうなゴミ袋があるとはみ出ないように位置を直すようにしていたのですが、けっして善行などではなく、単に散らかったところに出くわしたらめんどくさいという自分本位の理由からの行動です。当然、だれからも気付かれないわけですが、気付かれる必要もないわけです。
そうしたら先日、ご近所のおばあちゃんから、「最近、ゴミ袋がちゃんとおさまっているなあと思っていたら、お兄ちゃんがやってたんかい?ありがとね」と言われました。ちなみにお兄ちゃんというのはボクのことですよ。ボクもかなりいい歳ですが、そのおばあちゃんから見るとお兄ちゃんだということです。「自分が捨てるついでに、はみ出そうなゴミ袋も押し込んでいるだけです」と、正直に答えましたけど、頭の中では、金の斧の昔話のイメージ映像が流れていました。正直に答えるときっとどこかでだれかからいいものがもらえるに違いないと低俗なことを思いながら。
そのおばあちゃん、ゴミ袋がちゃんとネットの中におさまっているかどうか、人知れずこっそりと、みんなのためにいつも確認していたんでしょうね。やっているからこそ、ちゃんとおさまっていることがわかったわけで、やった人だけがわかるすごさとはこのことだよなと感服いたしました。
功名心とか自分の地位向上とか、そんな下世話なもののためではなく、あたりまえにさりげなくやっている人こそが、だれかの行いに気付いてそれを見つけることができるという例だなと思いました。そういう気付きのできる歳の重ね方をしたいものだと思った出来事でした。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔