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加藤のコラム

加藤のコラム第81号

布団カバーのファスナーがかむのは人生修行のために違いない

 

布団カバーについているファスナーって、たまにかむことありませんか? ファスナーも布地のぎりぎりに位置することで機能を発揮していると思うのですが、ぎりぎりの宿命なのか、たまに布地をかんでしまうことがありますよね? ない? ボクはあります。

 

ファスナーが布地をかんだ瞬間、やっちまった…と思い、自分のふがいなさに腹が立つのであります。しかし、ファスナーに八つ当たりしても解決しないし、無理やりファスナーを動かすとさらにかみ方が増すので、いったん心を落ち着けて、ゆっくりとかんだ布地をファスナーから取り除く作業を開始しなくてはなりません。あせるとますますかみますから。これって、トラブルに陥ったときの人間修行のひとつというか、「まず落ち着く」「そして解決に向けてできることを着実にやっていく」という対処の王道を学ばせようとしているのではないかと思うようになりました。だって、布団カバーのファスナーって、かんでも仕方ないと思えるような構造じゃないですか。ファスナー自体を露出しないために布地がファスナー上に少しかぶさるような配置になっているでしょ? デザイン的にもっとうまいことできそうな気もするのですが(あくまで素人考えです)、あえてかむリスクを有したデザインを続けているのは、きっと布団カバーにファスナーを取り付けた創始者の方が、「ファスナーがかんだくらいで取り乱していては人生の荒波を乗り切ることはできない。ファスナーがかんでも落ち着いて対処できることが人生修行にもなり、そういう心持ちで生きていれば自ずと安眠できるはずである」という深い考えを持っていたのではないかと勝手に想像しています。

 

食品用ラップも、へばりついてどこがはじっこなのかわからなくなることがありますけど、そのときはファスナーがかんだ以上に絶望感を味わいませんか。ボクは5秒ほど思考が停止し、多くの場合「ラップのヤローめ」とラップに向かって暴言を吐いてしまいそうになります。これもきっと、食品用ラップの創始者が「ラップのはじっこがわからなくなったくらいで取り乱していては、人生における数々の困難の壁を乗り越えることはできない。ラップのはじっこを落ち着いて探し当てることが人生の学びにもなり、そういう心持ちで生きていれば自ずと食への感謝の気持ちが高まり、健康になるはずである」という深い考えを持っていたのではないかと、これまた勝手に想像しています。

 

ただし、ボクは人間がきわめて未熟なので、布団カバーのファスナーがかんだ瞬間、そして食品用ラップのはじっこがわからなくなった瞬間、「コンチクショー」と自分に腹も立てるのですが、「人生修行、人生修行」とつぶやいて、落ち着きを取り戻そうとしています。でも、やっぱりファスナーも食品用ラップも平穏無事に使い終わりたいな。

 

自閉症者地域生活支援センターなないろ  加藤 潔