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加藤のコラム

加藤のコラム第84号

ちょっとできる×適した努力×運=脚光を浴びる才能

 

才能という言葉があります。

 

デジタル大辞泉にはこう書いていました。

「物事を巧みになしうる生まれつきの能力」

 

Katopediaにはこう書いています。

「自分の中で好きだったり得意だったりするもの」「どの人にも必ずあるが、それが花開くかどうかはさまざまな要因とのからみがあり、【ちょっとできる×適した努力×運=脚光を浴びる才能】という公式が存在する」

 

「ちょっとできる」分野はだれにでもあります。ないわけがない。個人内評価でいいのだから。裏Katopediaでは、この「ちょっとできる」を基礎才能と名付けています。

 

さて、基礎才能だけでは原石のままですから、それをブラッシュアップしなければなりません。やみくもに磨いても光らないので、その原石にふさわしい磨き方をする必要があります。それが「適した努力」であり、裏Katopediaでは、この「適した努力」を努力才能と名付けています。努力も才能のひとつということです。

スポーツ選手だって、根性だけの練習では上達しないし、練習のしすぎも逆効果だし、その人に合った理論的な練習が必要でしょ? 自分でその練習方法を見つけられなくても優れたコーチがいればそこは補うことができます。

 

そして、プラス「運」も重要です。裏Katopediaでは、これを開運才能と名付けています。例えば、大谷翔平選手は、野球が小さいころから得意だし、飛び抜けた努力もしているはず。加えて、二刀流に理解のあるチームに入ったから世界中から脚光を浴びているわけです。二刀流を認めないチームにいたらどうなっていたかわかりませんし、野球がまだ存在していなかった時代に生まれていたら、世界中に名前が知られる存在にはならなかったかもしれません。脚光を浴びるには、運はやはり大事だと思うのです。大谷翔平さん、お名前を使ってしまってごめんなさい。

 

だけど、脚光を浴びなくたって「生きていける才能」が育てばいいじゃないですか。運はどうしようもないから。裏Katopediaには、【ちょっとできる×適した努力=生きていける才能】という公式もありまして、そこまでならなんとかしたいし、多くの人はそうやって自分の生きる道を開拓しているのだと思います。

 

これを自閉症支援に当てはめてみると、ご本人の強みを把握し、それを生かしたり伸ばしたりして、生きていける才能として高めるのが支援。支援者の力量を存分に発揮することでご本人の人生が開けてきます。なないろには「見せ場リスト(利用者編は未公開だけど)」がありますが、そのリストは生きていける才能の実装としての具体化でもあります。この生きていける才能に運が加わったら、世間からの脚光を浴びることもできるはず。なないろの利用者さんのアート作品をLINEスタンプとして販売しておりますが、時代がその作品を評価するという運が巡ってきたら、利用者さんは大金持ちになれるかもしれません。LINEスタンプのQRコードはこちらです。

 

イケメンとはほど遠く、音楽やアートはからきしダメで、超人的な運動神経も持ち合わせていない加藤は、学生時代にどうやったら目立てるか(ぶっちゃけて言えば、どうやったら女の子たちにアピールできるのか)を必死に考えて、ちょっと笑いをとるためのしゃべりをブラッシュアップしようと秘かに努力しておりました。でも、適した努力ではなかったかもしれませんし、深夜ラジオ番組で話すというような場がもらえるという運もありませんでした(オールナイトニッポンに出たい気持ちは今でも満々ですよ)。努力才能と開運才能があったなら人生変わっていたかもなあとよこしまな想像をしております。

 

自閉症者地域生活支援センターなないろ  加藤 潔