加藤のコラム第93号
「髪切った?」だけじゃだめらしい
先日、家に帰ったとき、たぶんうちの奥さんは髪を切ったんじゃないかと思った瞬間がありました。だいたいにおいて「たぶん」というあたりが、関係の脆弱さを示しているわけですが…。
ボクの心の中で、自問自答が始まります。
「髪切ったって言わないとだめだよな」
「髪切ったって聞くだけならハラスメントにならないよなあ。いやなるのかなあ。ならないでしょ」
「もし、万が一髪を切ったわけではなかったら、髪切ったって言ったらそれは逆にきわめてまずいことになるよなあ」
「言うべきか言わざるべきか」
「言わないよりは言ったほうがいい。バットは振らなきゃ当たらない」
その内なる葛藤を経て、「髪切った?」と声に出すわけです。
そうしたら、「そうだよ」ときわめて平板なお返事。あら?なんか微妙な感じ。
こういう場面では、すぐに何か言葉を繋がないとならないんだろうなということはわかるけれど、気の利いたことも言えないし、歯の浮くようなことを言ったら、間違いなくウソだと思われて「何か悪いことしてるんじゃないか」とあらぬ濡れ衣を着せられるに違いないと思ってしまうのが悪いくせ。
で、吐き出した言葉がこれ。「気付いちゃったのよね」
なんだ、このしょうもないワードセンス。そうしたら、うちの奥さんは言いました。
「気付かれても、特にいいことあるわけでもないしね」
「カット代くれるんなら、気付かれた意味が出てくるな」
「それはいい考えだ」
たたみかけるような論法に対しては、真っ向勝負は禁物です。勝ち目のない戦いからは逃げるのが一番。「風呂入ってくるわ」とその場を去ったのでした。
そして、お風呂の中でボクはこうつぶやきました。「沈黙は金」
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔