加藤のコラム第124号
コーヒーが飲めません
ボクはコーヒーが苦手です。
加藤のコラム第10号「無性に何かを食いたくなるときがある」では、手も足も出ない、まったく食べられない物(飲み物含む)として、きゅうり・コーヒー・レーズンの三つをあげております。
高校生くらいのときに、大人ぶって何度かコーヒーを飲んだことはありますが、うまいと思ったことはなく、しかも飲んだ後で具合が悪くなりました。それ以来、コーヒーは飲んでいませんし、飲もうとも思いません。コーヒー牛乳も飲めません。考えてみたら、コーヒー味のものもダメですね。コーヒーの香りは苦にはなりませんけど。コーヒーが飲める人は大人だなと思いますが、おそらくボクは死ぬまでコーヒーを飲むことはないので、もう大人にはなれないということです。老け顔の子どもとして生きていきます。
どこかを訪問した際にコーヒーを出してくださることがありますけれど、「コーヒーがやってくるぞ」という気配を感じた瞬間に「すみません、ボク、コーヒー飲めないんです」と、できるだけ言うようにしています。だって、飲まずに残したらもったいないし申し訳ない。でも、コーヒーが飲めないことを言いそびれてしまうこともあるので、その場合はコーヒーカップが手つかずのままになります。心苦しい瞬間です。
また、残しているのを見て「どうぞお飲みになってください」と言ってくださる方もいますから、「実はボク、コーヒー飲めないんですよ」「あら、それは失礼しました。別のものをお持ちしますね」というやりとりに進んでしまうと、なおのこと心苦しい。別に他のものを飲みたいわけでもないし、そのために別の飲み物を用意させるなんて申し訳ない。「いえいえ、大丈夫です。酒しか飲まないので」なんて、しょうもないことを言って申し訳なさをごまかすのがやっとです。
ただ、「コーヒー飲めない?見た目は朝からがぶ飲みしてそうなのにねえ」と言われることもそれなりにあり、「オレは、コーヒーを朝からがぶ飲みしそうな顔なんだな」と思いつつ「まだお子ちゃまなんです」と返答するのが恒例です。
ちなみに、ボクがコーヒーっぽいものを飲んでいるなという風景をもし見たとしたら、それはココアです。お子ちゃまですから。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔