加藤のコラム第128号
事実と真実は必ずしも同じとは限らない
松本人志さんや大谷翔平さんの界隈では、「何が事実なんだ?」「何が真実なんだ?」といろいろな人がいろいろなコメントを出し続けております。
事実も真実も本当のことという意味では同じなのでしょうけれど、ボクの言語感覚的には若干異なるんです。というわけでいつものようにKatopediaをひもとくことにします。
事実:実際にあったこと
真実:その人の認識の中でのありのままのこと
事実はひとつしかないが、真実はその人のフィルターを通したものであるため、人の数だけ存在することがある。
Katopediaではこのように書いておりました。
松本人志さんにも相手方の女性や周囲の芸人さんたちにも真実はあって、大谷翔平さんにも水原一平さんにも真実はあって、事実はひとつなのだけれど、その人にとっての真実を話しているのであればウソをついているわけではないとも言えます。だから、捜査とか調査と呼ばれる作業はあくまでも事実を明らかにするものであり、それぞれの真実が結果として他者にどう影響を与えてしまったのかを然るべき人が判断するための根拠となるわけです。
だから、それぞれの真実は事実に照らし合わせて妥当な行動だったのかどうかを判断するべきだと思うので、事実が明らかになっていないうちは周りが勝手にコメントしてもそれは単なる想像にしかならないというのがKatopediaに基づく考え方でございます。
という考え方に立てば、ひとつ言っておかねばならないことがあります。
名探偵のコナン君はよくこうおっしゃっています。「真実はいつもひとつ」と。
これ、Katopedia的には「事実はいつもひとつ」と言い換えてほしいな。
話が最後に思いっきりそれますが、コナン君は鋼のメンタルを持っているなあと尊敬します。だって、コナン君は本当は高校2年生なんですよ。それが小学1年生としてずっと生きている。とてもとても平常心ではいられません。しかも、目の前に蘭ちゃんという彼女がいて、自分の境遇も話せない。先の見通しがまったく立たないこんな状況なのに、小学生の同級生とも仲良くしながら毎週のように事件を解決しています。鋼どころじゃない超合金のメンタルの持ち主です。心から尊敬します。
いつの日か高校2年生に戻れますように。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔