» 気持ちの温度差という代物 自閉症者地域生活支援センター なないろ

加藤のコラム

加藤のコラム第134号

気持ちの温度差という代物 

 

 

「温度差がある」という言い方をすることがありますが、気温など実際に測れる数値の違いが大きい場合に使う表現と、興味や関心の度合いといった、気持ちの面での違いが大きい場合に使う表現の二つがあると思います。ここで話すのは、後者の方です。

 

だいたいにおいて、ある物事への取り組み方の温度というか熱量というか、人によっても違うし、同じ人でもそのときの心身の状態によっても波があるし、温度差があること自体あたりまえでしょというのが多くの人の共通認識だと思います。

 

がしかし、実際には「オレがこんなに頑張っているのに、どうしておまえは頑張ろうとしないんだ」と憤ってしまったり、「頑張ろうぜって熱く語られると逆に頑張りたくなくなります」と感じてしまったり、お互いの距離がどんどん遠くなってしまうなんてことがあるわけです。それは仕事だけでなく、家族や恋人、友人との関係でも起こり得ることです。温度差があること自体あたりまえだとわかっているはずなのにね。

 

ボクの勝手な組織論のひとつに「その組織の中で三人が同じ方向を向いていれば、組織自体がそれに引っ張られて前に進む」というのがありまして、みんなで団結して進むためには三人が固まっていればなんとかなるはずだというのが持論なのです。その三人はそんなに温度差がないメンツで、その三人以外はいわゆる温度差があるメンツということにはなるのですけれど、三人が同じような温度だと周りもなんとなくその温度に少し近づいてくると思っています(あくまで経験則ですが)。逆に、やる気のない三人が固まると、その三人以外もだんだんやる気がなくなってくるということにもなるのですが。

 

つまり、温度差があるのは当然なのだけれど、その組織内の温度差を少しだけ埋める方策が「三人が固まる」というものですが、御三家とか三羽ガラスとか三人衆とかという言葉もあるし、「三人寄れば文殊の知恵」とも言うし、あながち的外れの組織論ではないんじゃないかと自分では思っております。

 

三人いたら「ボクも仲間に入りたい」と、比較的温度差の少ない四人目がきっと出てくるので四天王になって組織がより強くなり、五人目がきたらゴレンジャーができます。温度差の少ない三人が出会うときっとすごいことが始まるんですよ。

 

自閉症者地域生活支援センターなないろ  加藤 潔