加藤のコラム第136号
「やればできる」と周囲から言われていることの多くは…「やらない」
野球が得意な二人組のお笑いコンビのお一人がよく言います。「やればできる」。
前向きに頑張っていこうという、あたたかい励ましの思いが込められていて、この発信自体は実にすてきなことです。彼らの人柄がにじみ出ている言葉だなと思います。
ただ、「やればできる」と周囲から言われていることの多くは…「やらない」です。やれることだったら人は言われる前にたいていやっていますから。
なんか意地の悪いことを書いていますが、「やればできる」と周囲がその本人に言うことって、本人にとっては苦手な分野のことが多くて、そこはやる気にならないのよねという背景があるように思います。
「やればできるはずでしょ」と言いたくなることよりも、「すでにやっていてもうできている」ことに着目する発想の方が得策なんじゃないかなあと思っているのであります。苦手を克服することに注力するよりも得意をより究める方が、結果として全体を引き上げるような気がしません?
右足が痛くて、それでも歩いて前に進まなければならないとき、人は痛い方の右足から歩き出さずに、痛くない方の左足を先に前に出し痛い方の右足を後から引っ張っていきます。「痛い方の右足から進もう。やればできる」よりも「痛くない方の左足から進もう。やればできる」ということですよね。
人が人を支援するとき、このスタンスを忘れてしまうと、つらい努力ばかりを強いることになり、支援の構図が強要や圧力になってしまいます。できることに着目すると支援は応援や後押しになります。
息子が高校生のとき、保護者面談にボクが出る羽目になったことがありましたが、担任の先生は気を遣ってくださったでしょうね、「彼は(苦手な科目の勉強を)やればできますから、お父さんからもぜひ励ましてあげてください」と言ってくださいました。「そうですね」とさらっと答えればいいものをついつい「そこは彼はやらないでしょうねえ。やるならとっくにやっているはずだし、やれることを頑張ればいいとボクは割り切っています」と返してしまって、面談の雰囲気を悪くしちゃったことがありました。この面談の報告を息子の母親である奥さんにしたところ(しないわけにはいかないし)、「おまえはもう面談に行くな」とお達しを受けました。
お笑いコンビの方が「やればできる」と言っているのは、きっと「あなたができることをまずはちゃんとやればいいのよ」という気持ちからのメッセージだろうと思います。だって、自分の得意な野球で頑張ってきた人たちだし、そこで目一杯頑張ったから他の分野にも般化できたわけでしょ。だから、彼らの発信には上から目線の圧がないあたたかさを感じさせるんだろうなと思うのです。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔