加藤のコラム第151号
吹き出物の膿を取られました
首の後ろのところに1か月くらい前から固い吹き出物ができていて、なかなか治らんなあと思っていたら、数日前から膿が出始めて触れると痛い。病院に行った方がよさそうだと思い(病院はできれば行きたくない人間ですが)、皮膚科で注射することもないだろうと思い、行ってまいりました。
診察してもらい、お医者さんがこうおっしゃいました。
「薬でゆっくり治す方法もありますし、麻酔をして吹き出物に穴を開けて膿を出す方法もありますよ。どうされますか?」
この二択は何だ? 想定してなかった。麻酔? そんな覚悟をしてきてないぞ。
でも早く治るのか。 「麻酔はいやです、怖いから」と言ったら、笑われるのか?
看護師さんが二人オレのことを見ている。麻酔で膿を出すのを断ったら臆病者って思われるんじゃないか?
頭の中はグルングルン。麻酔注射して吹き出物に穴を開けてなんて想像するだけで怖いですが、断ったら断ったでそのことを後悔しそうな気もして、3秒ほど沈黙した後で「お願いします」と言ってしまいました。言った後で、激しく後悔しましたが。
処置中、たぶん何度かうめいたと思います。「大丈夫ですか」と数回尋ねられましたので。無事処置が終わり、その日生きるためのエネルギーをすべて使い果たした気がしました。
福祉の現場でも、意思決定は確かに大事なことので、お医者さんもボクに決断を委ねたわけですけれど、「痛くしないし、早く治るからそっちがおすすめですよ」とか、もうちょっと後押ししてほしかったなあと甘ったれた気持ちも正直あります。痛みにはからっきし弱いので。もちろん強制は論外ですし、あくまで本人の選択が最優先ですけれど、背中を押してみるというかかわりも意思決定を促す際にはけっこう大事なことかもしれないなと思ったできごとでした。
そこまで言うんならやってもいいですよという状況づくりも、実は意思決定の際にはある種の支援になるかもしれないなと思ったのです。もちろん、さじ加減が大事なデリケートな支援にはなるのでしょうけれど。でも、こういう考え方は、きっと意思決定支援の本流からは大きくそれる邪道で、お叱りの声も多々あることでしょう…。
しばらく首に大きなばんそうこうを貼って過ごします。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔