加藤のコラム第155号
絵がうまい人はいいよな
ボクは自然に癒されるタイプではございません。美しい景色を見てもさほど感動もせず。もちろん、「いい景色だなあ」くらいの感情はわきますが、感動するまでのことはないんですよね。
したがって、アウトドアで気分転換することもなく、むしろ自然の中にいると「自然に吞み込まれる」みたいな気持ちになって怖くなります。自然界には虫もたくさんいますが、虫の方々は、入ってこないでねというラインを勝手に踏み越えていらっしゃいますし、話し合いによる境界線の設置も無理ですから、自然に対して無力感しか覚えないのであります。なので、ガチガチの人工物の中にいた方が安心します。
実につまらん人間だと自他ともに認めざるを得ませんが、赤く色づき始めた山々を見ると「これを絵に描けたら人生は豊かになるだろうなあ」とは思うのです。赤いところとか黄色いところとかまだ緑が多少残っているところとか、いろいろな色がそれぞれに存在感を示している風景は、感動こそあんまりしないゲスな人間だけれど絵に描けたらいいなあとは思うのです。
しかし、絵心はまったくありません。悲しいくらいにありません。だから描けません。絵がうまい人はいいなあと思いますね。同じ人間なのにどうしてこんなに絵心が違うのか。
絵がうまくなる方法をネットで調べてみたら、模写から始めるといいという記事がいくつかありました。そして、絵がうまい人は観察眼が鋭いと書いている記事もありました。模写から始めろって言われても、そこにある景色を上手に描いてみたいんです。観察しろって言われても、ボクは細かい変なところに着目してしまうので全体像なんかどうでもよくなるんです。
というわけで、絵がうまくなりそうもないので絵がうまい人をうらやましがるしかないのですが、それでいいかと思うことにしました。だって、絵が下手な人がいるからこそ絵が上手な人の価値が上がるわけで、下手でもちゃんと人の役に立っております。こういうのをまさに開き直りと言うのだと思いますが、心の底から絵がうまい人をリスペクトできることは人として悪くないはずだと考えることにします。
うらやましいなという感情は、自分がダメだという思考ルートにいっちゃえばよろしくないのでしょうが、すごいなという思考ルートに進めばプラスです。そんな気持ちで紅葉を味わいます。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔