加藤のコラム第164号
五分五分ならステイ
フリーエージェントとかポスティングとか、特にプロ野球の世界でよく使われている言葉があります。選手が自分の意思で活躍できる場所を求めて移籍できるシステムだと理解していますが、もちろんそれは頑張ってきた選手の方々の貴重な権利ですし、チャレンジしたい思いを実現できる大切な場だと思います。
フリーエージェントやポスティングを希望した選手のところには、外野からいろいろな心ない声が届いてしまうのでしょうかね。お世話になった球団への恩義を感じないのか、お金目当てなのか、行ったところで活躍できなかったらどうするんだとか。ただ、一番悩んで一番考えているのは当の本人ですからね。外野がとやかく言うことではありません。
とやかく言うことではないと書いちゃったのですけれど、今からとやかく言ってしまいます…。たいへん申し訳ございません。
あくまで個人の感想レベルの話にはなりますが、「フリーエージェント宣言をした→悩んで悩んですぐに結論を出せなかった→結局元のチームに残留した」、ボクは昭和コテコテなので、こういうのがやっぱり日本人っぽくていいなあと思ってしまいます(2023年11月17日の「個人因子と環境因子」の中で似たようなことを書きました)。フリーエージェントしますと宣言したのに残留するってかなり勇気のいることです。でも、その勇気は、自分の居場所はここだとわかりましたという「今いる組織への感謝と尊敬と愛情」を示す行為ですから、もっと絶賛されるべきだと思うのです。「フリーエージェントキャンセル宣言」という言葉を作って、その行為に光を当てたいくらいです。
自分がどこでどんな仕事をするべきなのか、ちゃんと仕事に向き合っている人であればそりゃ悩むこともあるでしょう。だからそこは悩んでいいの。でも、悩んだ末に「やっぱり今のところがいい」という決断は実にかっこいいなあと個人的には思います。加藤の人生哲学のひとつに「五分五分ならステイ」というのがありまして、どっちにするか迷ったときに、五分五分だと思ったら現状維持が最もいい決断だと思っています。だって、人生が動くときには見えざる力が外から働いて、もうそうするしかないという流れになるものでしょ? 多くの場合(加藤の勝手な思い込みではありますが)、見えざる力は働いていなくて、自分の中だけで勝手に動こうとして悶々としちゃうものじゃないかな? そんなこんなで「五分五分ならステイ」という人生の決断軸ができあがったのであります。悩むことはいいことだけれど、見えざる力が外から働いてきていないのであれば一人相撲になっているわけだから「五分五分ならステイ」でいいと思うのですよ。繰り返しますが、あくまで個人の感想ですのであしからず。「自分は違う」と思われる方も多々おられるはずですし、それでいいのです。正義は人の数だけありますから。
まあ、それをチャレンジ精神がないと言われればそれまですけれど、ステイしていたっていろいろなチャレンジはできるしブラッシュアップもできますからね。というわけで、来年の流行語大賞は「フリーエージェントキャンセル宣言」と「五分五分ならステイ」がノミネートされることを願うことにします。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔