加藤のコラム第169号
無駄のない動きは美しい
人が亡くなって、棺に入るときには、体をきれいにして天国に旅立つ衣装に着替える儀式が行われることがあります(宗教によって異なるのかもしれません)。ボクもいい歳なので、身近な人を送る経験の中で、その儀式に何度か立ち会ったことがありますけれど、うちの奥さんのお父さんを送ったときの納棺師さんの所作がダントツにすばらしかった。とにかく動きに無駄がまったくなく美しかったのです。次の動作に移るための準備をちゃんと整えながら今の動きをしているから、よけいな間がなく、素人が見ていてもこれはすげえわと感嘆するばかりでした。
それを思い出したのは、役所広司さんが主演された「PERFECT DAYS」という映画をプライムビデオで見たから。ボク、プライムビデオ会員でして、たまたま夜中に見たのですけれど、役所広司さんは公衆トイレの清掃員を演じられておりました。その掃除の手順というか動きが実に美しいなあと思って、ストーリーよりもその動きを見事に再現されていることに対して「この人、やっぱり名優なんだな」と改めて感じたしだいです。
次を意識して物の配置を考えながら効率的かつ確実にひとつひとつの動きをこなしていくのを見て、あのときの納棺師さんもそうだったよなと思い出したというわけです。
達人って、無駄のない動きをしているから達人なんですね、きっと。
その無駄のない動きは、間違いなく美しく見えるんですね、きっと。
仕事でもスポーツでも、達人の動きは無駄がなく、美しいということなんです、きっと。
ボクらの対人支援業界においても、同じことが言えそうな気がします。いい支援って、次を見据えて動いているから無駄な動きがないはず。あれがないこれがないとバタバタすることもなく、動線がシンプルだから流れが滑らかで必然的に美しく見える。そういうことなんだよなと思ったのであります。
抽象的な表現になってしまうのでなんとも伝わりにくいかもしれませんが、無駄のない美しい動きができているときはいい支援をしているときだと言えそうです。その無駄のない美しい動きを作るためにはシミュレーションしかないですよねえ。
ボクなんか、無駄な動きだらけの美しさのかけらもない支援を繰り返してしまっているのは間違いないですけど、「加藤さんの動きってとても美しいですね」と言われてみたくなっております。忖度で言われたくはないな。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔