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加藤のコラム

加藤のコラム第171号

ダイバーシティを履き違えないことが最高のダイバーシティ

 

2022年3月18日付の加藤のコラム「カタカナ言葉に弱いけど強く生きていきます」の中で、ダイバーシティという言葉を覚えたという話をちょこっと書いているのですが、これはそのスピンオフみたいなお話です。

 

ダイバーシティって、ざっくり言えば「多様性」ということだと思いますけれど、ビジネスの世界では、多様な人材が共存できる組織づくりを進めるという視点が色濃くなります。この共存できる状況をインクルージョンという言い方をすることもあるようで、ダイバーシティ&インクルージョンという表現をする場合もあるみたいです。なにやら、スキューバダイビングのできる街でマジックショーが行われる!みたいな宣伝文句のように見えてしまいます(あっ、それはイリュージョンだった)。

 

さて、多様性を尊重することはもちろん当然のことです。そうじゃないと、ボクみたいな「ちょっと(かなりか?)変」と思われがちなタイプは生きづらいですからね。ただ、ダイバーシティの恩恵に助けられている立場の自分は周囲の理解や協力の上でなんとかかんとか生きているのではありますが、自分のできることはちゃんとやろうとは一応思っているのですよ。お前はちゃんとしていないじゃないかというご指摘はその通りでございますけれど、ちゃんとやろうとする気持ちだけは持っております。

 

何を言いたいのだ?という声が聞こえてきました。つまり、「ダイバーシティなのだからオレのわがまま放題を認めなさいよ」「ダイバーシティなんだから私は好き勝手にやっていいのよね」って声高に主張するものじゃなく、相手の多様性を理解しようとする社会の空気の醸成こそが重要であって、そのためにはそれぞれがやれることを地道にやっているというのが大前提だと加藤は考えているということです。

 

ダイバーシティの主たる要素を権利の主張と考えるのか、ふところの大きい社会をつくる気運と考えるのか。前者だと履き違えてしまっている人がけっこういないかなあと感じることがけっこうあるんですよね。権利の主張自体はもちろん大事ですよ、それを否定しているわけではございません。でも「なんだかんだと時々やらかすこともあるけどあなたはやれることをちゃんとやっているもんね」という、お互いをとりあえずは信じているというつながりがないと、ダイバーシティとかインクルージョンとかはただ形骸化してしまい、カッコよさげな言葉が残るだけだよねえ。だから、言葉の華やかさに惑わされないようにしないとなあと、カタカナ言葉に弱い加藤は思っております。

 

そこで提案。ダイバーシティを「その人なりの頑張りを認める街」略して「頑・認・街(がんにんがい)」と併記するようにしてはいかがでしょうか。カタカナが苦手だから漢字にすればいいという実に短絡的発想で、しかも、ダイバーシティと頑・認・街はまったくかぶった音もなく、キャッチコピーとしてはまったくダメですけど。

 

自閉症者地域生活支援センターなないろ  加藤 潔