加藤のコラム第92号
正しいこと 正しくないこと 吞み込むこと
世の中には、だれがどう見ても「正しいこと」があります。同時に、だれがどう見ても「正しくないこと」も存在します。
ただ、自分にとって正しいことと、他の人にとって正しいことが一致しないことがけっこうあります。正義は人の数だけ存在しますから。これが難しい。
そうなると、正しいことと正しくないことの間に「呑み込むこと」というカテゴリーが出てくるわけです。自分にとっては望ましい選択ではないけれど間違いでもない。理解はできるけれど納得はしにくい。そんなことが人生にはきっと多々ありますわね。誤解のないように書き添えますが、だれがどう見ても正しくないことは呑み込んではいけないのですよ。それは魂を売ることになっちゃうから。
若くて血気盛んな時代は、呑み込むことがうまくできなくて、つかえるわけですよ。それをきっと「とんがってる」などと表現するのでしょう。でも、若いころって、それでいいんじゃないかなと思いますね。とんがっているものは丸くなれるかもしれないけれど、とんがっていないものはとんがることができませんから。
前回の加藤のコラムで、五大老化現象(Katopediaより)について書きましたが、年齢を重ねてくると、呑み込むことは少しうまくなるような気がします。それがいいことなのかどうかはなんとも言えないですが、加齢は老化だけじゃなくて、温化(こんな言葉ないけど)もするのです。ただ、呑み込むだけじゃなくて、呑み込みながらもこっちに少しでも引き寄せたところに着地させようと、くちゃくちゃとよく噛みながら、いろいろと探るようになるのだと思います。それを「変わってしまった」と解釈するのか、「やわらかくなった(温化した)」と解釈するのか、それは人の価値観ではありますが。
back numberというバンドに「水平線」という歌があります。著作権があるでしょうから、一部だけこっそりと載せますが(それも違法になるのかな、だとしたらごめんなさい)、コロナ禍で大会が開催できずに悲しい思いをした高校生に向けた歌だそうです。大会をしたいのも正しい思いだし、それができないという判断もまた正しいわけです。
♪正しさを別の正しさで 失くす悲しみにも出会うけれど
♪耐える理由を探しながら いくつも答えを抱えながら 悩んで あなたは自分を知るでしょう
いい歌詞ですねえ。とっても共感できます。
今回はすごいまじめな話だな。まじめな話もしようと思えばできるんだと自分を少しほめてあげることにします。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔