加藤のコラム第158号
日本語は奥深い
この地球上で、日本語を公用語としている国は日本だけです。日本語を話す人は世界の中で実に少数派と言えます。
英語など日本語以外の言葉を使えない加藤は、まさに少数派。しかし、少数派というのは数が少ないというだけで何も悪いことではございません。日本語しか話せないからって恥ずべきことはありません。少数派の誇りを持って、日本語のよき使い手になりたいものです。
日本語の奥深さ(言い方を変えれば難しさかもしれません)を語るとしたら、どんなことがあるか。三つほどあげときましょう。
その1 同じ漢字でも読み方が異なると意味が変わってくる
たとえば、「色紙」という熟語。読み方は二つあって「しきし」と「いろがみ」。「色紙買ってきて」とメールやLINEで頼まれたとき、しきしなのかいろがみなのか判断に迷います。「それは大事だ」という文章があったとき、「だいじ」と読むか「おおごと」と読むかでも意味が違ってきます。しかし、日本語にはふりがなという仕組みがあって、それを使えば確実に伝わります。実によくできた仕組みです。
その2 一人称や二人称の言い方がいっぱいある
自分や相手の言い表し方には「私、オレ、ボク、あたい、わし、オイラ、わちき…」「あなた、あんた、おまえ、おまえさん、てめえ、貴殿…」などなど、そのときの状況や感情を的確に表現できる語彙が日本語には多数存在します。これに抑揚や声色で変化をプラスしたら、表現レパートリーはほぼ無限。「あなた」ひとつとっても、優しい感じで言うか厳しい口調で言うか甘ったるい感じで言うかで、まったく違ってきますから。
その3 美しい言葉がたくさんある
思いつくままにあげると、「せせらぎ」「瑠璃色(るりいろ)」「お心置きなく」等々。これを英訳したらどうなるんだろう。Google翻訳によれば、「せせらぎ」は「babbling brook(サラサラ流れる小川)」「瑠璃色」は「Lapis Lazuli(宝石名です)」「お心置きなく」は「Please feel free to(どうぞご自由に)」だそうです。やっぱり日本語が美しいな。
外国語を話せない人間の自己弁護だと言われたら返す言葉もございませんが、自分の母国語に誇りを持っていることがグローバルな人間になる大前提だと思っております。それも自己弁護か…。いいのいいの、日本語はいい言葉ですよ。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔