加藤のコラム第170号
「自動」って便利なんだけどね
世の中は、どんどん自動化に進んでいくのでしょう。それ自体、文明の進歩ですし悪いことではないと思いますが、手動のよさもあるよなあと思っちゃうのです。
たとえば車は自動運転化が加速しています。確かに、バスの運転手さん不足は深刻なのでそういう意味ではとてもいいことですけれど、一般の方の運転技術の低下も加速しますよね。ボクはいまだにマニュアル車に乗りたくてたまらない人間ですし、バックモニターに頼って車庫入れしてしまう自分にいつも「甘えるな」とダメ出ししております。便利なのは間違いないのだけれど、それで本当にいいのかなと思ってしまうのです。
トイレで用を足した後の洗浄を自動でしてくれる便器も増えました。中には蓋まで自動であけてくれるものまであります。自分の出した物や拭いた後の紙くらい、自分でレバーを回して流せますし、そのタイミングくらいはボクに決めさせてほしいと思ってしまうのです。ちなみに、ボクはウォシュレットも使ったことがありません。人生で一度もありません。自分のケツは自分で拭かないとダメだと思い込んで生きておりますので。汚い話ですみません。
人感センサーって言うんですかね、自動で点灯したり消灯したりできるシステムがありますよね。確かにエネルギーの節約には効果があると思いますよ。消し忘れて電気がつけっぱなしということもなくなるし。でも、スイッチをパチパチする喜びや、消し忘れてだれかに怒られたり反省したりする人間くさいできごとがなくなってしまうさびしさを感じませんか。
自動ドアってかなりポピュラーなものになっていますし、誤作動防止や感染症対策で手を近付けるだけで開くタイプのものも増えました。確かに便利ですが、自動ドアを設置したけれどその電源を切ってあえて手動にしているところもあります。なないろの正面玄関の内側ドアもそうしておりますが、少しでも電気代を節約したいという理由もありますけれど、手動のよさを忘れたくないという意固地な理由もあります。自動ドアを手動にするとドアの開閉は重いのですが、それを筋力トレーニングと考えれば前向きな気持ちにもなれますから。
自動ドアを手動にしているお店を見つけちゃったのですが、「手動」という文字表示が「牛動」に見えてしまうので、こっそり写真を撮ってしまいました。たぶん「手動」と書いているのだと思いますが、牛さんが来てドアを開けてくれるのだとしたら、それは実に画期的なドアの開閉です。でも残念ながら牛がやってくる気配はありませんでした。
自閉症者地域生活支援センターなないろ 加藤 潔