なにやら石破首相が退陣するのかしないのか、さまざまな見解のニュースが駆け回っております。7月の時事世論調査によると、内閣支持率が20.8%で不支持率55.0%だったそうです。ボクは支持政党が特に決まっていないですし、内閣を支持するかしないかとかはほとんど考えたことがなくて、「ストレスたまりまくりのお仕事、ほんとうにおつかれさまです」という気持ちで見ていることが多いです。出した政策に批判の声が寄せられることが多々あるのでしょうけれど、たぶんいろいろな方面との調整や妥協による苦渋の末の着地点なのだろうなと勝手に想像していまして、あちら立てればこちら立たずという状況にどうしてもなってしまい、あちこちからやいのやいの言われるのでしょうから、政治家さんが人相悪くなっていくのも仕方ないのかなあなんて思っています。
ボク、別に誰かを擁護しているわけではないのですけれど、支持率20%で発足後最低だ、たいへんだとマスコミさんもさんざん言っておりましたが、不支持率55%(過半数超えちゃってるからこれはまあ高いと言うしかないのだけれど)以外の45%は不支持ではないのでそれを広義の支持率とみて、20%に関しては強い支持率とみるのが本筋なんじゃないかと思っている人間です。45%の人間が一応とりあえずは支持していたわけです。繰り返しますが、誰かを擁護して言っているのではなく、数字の解釈としてそうみるのが人として素直な考え方なんじゃないのかい?と思っているということです。
食べ物や人間関係だってそうでしょ? 嫌いなものは仕方ないですが、嫌いじゃないものは広義の好きであって、本当に好きが広義の好きの中に存在しているわけですよね。「嫌いじゃない=広義の好き」ととらえないと、生きにくくてしょうがない。何より、限られた好き以外のものは嫌いと同義語にしてしまったら、好きの範疇に入らなかったものは排除されるだけになってしまいます。好きだと思われるような人間ではない加藤にとって、そういう風潮はきついわ。嫌われなければまあまあOKという世の中であってほしいと願います。
しつこく言いますが、別に誰かを擁護しているわけではないのです。でも、もうちょっといい意味でささやかな寛容さのある世の中にならないものですかねえ。じゃあ、寛容な世の中になるにはどうすりゃいいのって話になるわけですよ。まずは国会で反対ばっかり言うのではなく(反対意見は確かに必要ですけれど)、「この部分(だけ)はいい法案です」という指摘も必ず付け加えていただくこと、ニュース番組やワイドショーでも、不祥事しちゃった人をたたくだけではなくて(極悪非道の犯罪に関してはたたくしかないですが)「こういういいところもありますね(ありましたね)」というフォローも必ずコメントするという地道な見本を1年見せ続ければ世の中の思考パターンがかなり寛容になってくると思うんだけどな。だって、学校ではきっと「クラスメイトのいいところを見つけよう」って教えてきているはずなのだから、実社会がほんのちょっとでもそこに寄っていけば学んだことが社会生活に一本の筋としてつながるわけで、日本が一貫した美しい価値観を持つ国として世界から評価されると思うのよね。サッカーワールドカップ日本代表選手やサポーターが自分たちの使ったロッカーやスタンドをきれいに掃除して帰るのなんて、まさに日本の教育が実社会で具現化された世界最高の事例ですよ。
国会やテレビがそうしたささやかな寛容さという見本を見せれば日本の雰囲気は必ず変わるはずです。ボクはそう信じていますし、ある一部の政党やある一部の番組がそれを始めたら好感度がきっと上がるはずなので、実はこのささやかな寛容さの見本ってそんなに難しいことではないと思っています。
さて、ボクは今、理事長なんですけれど、法人内での支持率調査をする勇気は…ないでございます。でも、支持率はきっと低いだろうと覚悟しながらも露骨な不支持を表明される以外は一応とりあえず支持だと思い込んで仕事をしていきます。
社会福祉法人はるにれの里 理事長 加藤 潔