日本のトイレって、きっと世界最高水準なのだと思います。すばらしいことです。
でも、そこまでしなくてもいいんじゃないの? と思われることもありまして…。あくまで個人の感想なので、異なる考えをお持ちの方は寛大なお心で読んでください。
そこまでしなくてもいいんじゃないの? その1
用を足した後、自動で水が流れるトイレがとても多くなってきました。手がうまく使えない状況にある方や目が不自由でレバーの場所が見えない方にはものすごく重宝なシステムですし、それ自体がすばらしい配慮であることは言うまでもありません。でも、ボクは自分でカチャッとレバーを回して最後の締めの水流しをしたいのであります。だって、ちょっと便座から離れたら水が流れちゃって、その瞬間「敗北感」というか「先を越された感」というか、まだちゃんと吹きとっていないからもう一回水を流さないとならない「水のムダ遣いをしてしまった罪悪感」を覚えてしまうのです。
きっと、自動と手動を設定できるようにはなっているのでしょうけれど、それをどうやって切り替えたらいいのかよくわからないから、特に公共のトイレでは、自動で流れる設定のまま使わないとならないでしょ? なんかせかされているような気がして、そこまでの技術があるのなら、手動で流れる設定ボタンを別につけてくれないかなと思ってしまうのであります。
そこまでしなくてもいいんじゃないの? その2
個室に入るとそれを感知してふたが自動的に上がるトイレもありますよね。これも手がうまく状況にある方には最高の配慮だと言えます。あるいは、だれが触ったんだがよくわからないふたに触りたくないという方にとってもありがたいシステムだと言えるでしょう。でも、ボクは自分でふたを上げたいのよ。出るぞ出すぞという気持ちで個室に入っていますから、ふたを上げるのは一連の流れとして大事な工程なのです。ウイーンってふたが上がるのを見て「自分でできるよ」と何度もボソッとつぶやいたことがあります。
これについても、手でふたを上げてもいいし、「ふた上がれ」と口で言ったら上がるようにもなっているというシステムにならないものでしょうかね。ただ、口で言ったら上がるというシステムは、グローバル社会においてはいろいろな言語に対応できるようにしないとならないから難しいのだろうな。
ちなみにボクは人生で一度もウォシュレットを使ったことがありません。水をお尻にちゃんと命中させる自信もないし(きっとトイレが水でビジョビジョになる)、うまくいったとしても「ヒョエ~」と大声を出しそうだし、何よりも「自分のケツは自分で拭け」と死んだ親父から言われていたので(排便後の処理のことではなく人生訓として言っていたと思いますけれど)、ウォシュレット未体験人間です。使わずに済むなら一生使わずに生きていくつもりでおります。よけいな個人情報でした。たいへん失礼いたしました。
社会福祉法人はるにれの里 理事長 加藤 潔