イケメンという言葉があります。昔は「二枚目」とか「ハンサム」とかいう言い方をしていました。
どんな顔がイケメン認定されるのかはその時代の価値観によるのでしょうけれど、少なくともボクはイケメン認定されたという華々しい経歴はひとつも持ち合わせていません。だからと言って、それが不幸だとも思っていませんし、卑屈に思ったことはないですよ。そりゃイケメンでチヤホヤされたりキャーキャー騒がれたりしたら気分いいだろうなとは思いますし、人生で一度くらいは体験したいけど(たとえドッキリであっても)、そんなことが実際に起こったらどうリアクションしていいのかまったくわからないです。
顔の造作は整形でもしない限りは変えられないですが、人相をよくすることはその人次第じゃないかなと思っています。もちろん、第一印象はよかったけれどその後のかかわりが最悪で結局人相の良し悪しを見誤ったというようなことは多々あるでしょう。逆に、最初は「なんだこの人。近付きたくない顔しているなあ」と思っていたけれど、つきあいが深まるにつれ「いい人じゃん」と思うようになるというのもよくある話。人相がいいか悪いかの評価って、ある程度知り合ってからでいいんですよ。加藤理論では。
つまりですね、ある程度知り合っている人から人相がいいと思われるかどうかは、顔の造作はまったく関係なくて、いかに誠実に接しているかが関係しているということです。この人相の話は、違うところでも書いたことがあるのですが、人相がいいと思われることはボクの大事な人生観のひとつなので、このシン加藤のコラムでも書いておこうと思ったわけです。
じゃあ、「加藤は人相がいいと言われたことあるのか?」という疑問がわいてきますよね。数年前の個人的年間目標に「いい人相ですねと5人から言われる」というのを掲げたことがあります。無理やり言わせた人が二名いましたが、目標数値には届かずでした。まあ、人相という言葉のとらえが加藤と世間では若干違っているのだろうなと思われるので、日常会話の中で「人相」というワードはなかなか出てこないですよね。だからこそ、大事なのは人相なんだと言い続けようかなと思っています。ボクごときが言い続けても世の中はきっと変わりませんが、言い続けないと変わる可能性はゼロのままですから。
というわけで、ボクはだれかに「人相いいよね」ときっと突然言うかもしれません。それはもちろん「あなたはとても誠実な人ですね」という意味でもあるのですけれど、同時に「人相ワード周知大作戦」でもあります。「加藤さんも人相いいですよ」と儀礼的に返答していただければ、人相ワードで会話してもいいんだなという経験を積むことができますよ。イケメンと言われるよりも「イケ人相」と言われることの方が高いステータスになる時代が来れば、非イケメンも肯定感がぐんぐん上がる! たくさんの人の人相がよくなれば、すなわちそれは民度の高い社会ができているということにもなります。みなさん、今日から「人相」を日常用語に加えましょう。
社会福祉法人はるにれの里 理事長 加藤 潔