前号第249号「昆布水つけ麺」の中にこんな一文を載せました。
⇒でも、うまいものって体重増えるんだよな。このジレンマにいろいろと考えるところあるのよね。この話題はまたいつか。
「またいつか」と書いたくせに、すぐに書くことにしたのですけれど、ある意味、ボク個人としては実に哲学的なお話(まあ哲学的だと思っているのはボクだけだろうけど)。念のため申し上げておきますが、あくまで個人の感想を述べるだけなので、声高に何かを主張するつもりは毛頭ございません。生き方や考え方は人それぞれだし。あくまでボクがこのごろちょっと思っていることを書いたというだけの話です。ただのくだらない戯言だと思ってくださいませ。
健康にほとんど留意しないボクですが、一応ちょっとくらいは節制しようかなという気持ちはあるんです。なるべく体重が増えないようにしようとか、体によさげなものを少しくらいは取り入れようとか、食い過ぎた翌日や翌々日は少し食事を減らしてみるかなとか。そのくらいは考えるのよ。
禁煙したことないし、お酒は酔っぱらうまで飲むし、味の濃いものが大好きだし、そんな人間ですが、頭の片隅にはいつも「節制したほうがそりゃいいよな」という思いはあるんです。
だから、時間があるときは一応ジョギングなんかしちゃうわけです(とてもゆっくりのんびりダラダラと走っていますが)。
だけど、それっていつまで続けりゃいいんだろうと最近思い始めまして。節制を重ねて運よく長生きしたとして、不摂生という禁断の果実を味わい尽くさないで生きていくのもどうなのかなあと思っちゃって。
逆説的な言い方になりますが、不摂生するには元気と活力が必要ですからね。歳を取ってそのエネルギーが落ちてくると、不摂生することができなくなる。ダラダラダラダラしながら、昼酒からの連続夜酒とか夜中のこってりラーメンとか、そういうことがしたくてもそれをする気力や体力が湧いてこなくなるわけですよ。きっと。
とするとね。まだ多少は元気なうちに「節制完全卒業」「いっさい健康になんか気を使わないで生きる」宣言をしたほうが人生得なんじゃないかという思いがどこかにあります。食いたいときに食いたい物を食う、もう一切我慢しないという割り切りをして実行できる年齢には上限があるんじゃないかと思っていて、ボクもそろそろその上限に来ているような気がしているわけです。
そもそも、食いたいときに食いたい物を食うとしても、お金に限りがありますから、実際にはそんな激しい食い方を続けられるはずはないし、肉体が衰えてしまえばそんな生活もできないから、きっとあと数年がそのラストチャンスなのですよ。
だけど、そんな堕落の道を行くのも人生の終盤にさしかかっている者としてどうなの?とも思っちゃう自分もいるし、この話、哲学的だと思いません?
でもねえ、勢いよく太っちゃうと洋服が合わなくなって出費がかさむので、やっぱり現実的にはある程度の節制は必要なんだよねえ。喪服のズボンが入らないという場面が一番慌てますから。哲学的な話で終われるかと思ったら、現実的な話で終わってしまいました。すみません。
社会福祉法人はるにれの里 理事長 加藤 潔
